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名古屋地方裁判所 昭和49年(ワ)793号 判決

原告

伊藤和之

右訴訟代理人

伊神喜弘

石川智太郎

山本秀師

平野保

宮道佳男

被告

金田敏郎

右訴訟代理人

鈴木匡

山本一道

鈴木順二

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

岡達

外二名

被告両名訴訟代理人

大場民男

主文

一  被告らは、各自原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四九年四月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担としその余は被告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被告金田が被告国の運営する名大病院口腔外科に勤務する医師(歯科)であり、名大教授の地位にあること、達博が昭和四八年一〇月二四日死亡したことは当事者間に争いがない。

二達博の死因について

原告は、請求原因3(一)のとおり、被告金田の肺転移検査義務の懈怠により、上顎癌の肺転移の早期発見が遅れ、そのため、有効な治療の早期実施が不可能となり、生存期間の延長ができず、死期が早められたと主張するのに対し、被告らは、その主張三1のとおり達博の死因について争い、その肺部疾患と死亡との間には因果関係がない旨主張するので、先ずこの点について判断する。

1  達博の肺部疾患について

(一)  証人西村穣の証言によれば、同医師は、昭和四八年七月一七日、達博の胸部X線写真その他の諸検査の結果により、X線写真から読影できる左肺の肺尖の腫瘍が肺を越えて胸壁へ深く連続進展しているように思われること、その証拠に第二番目と第三番目の肋骨が溶けて腫瘍細胞に変わつていること、この所見はこの腫瘍が悪性腫瘍であることを示すこと、腫瘍は両肺にそれぞれみられるうえ、右肺にはさらに小さい腫瘍が一つあること、一方、達博は昭和四三年に上顎癌の手術を受け、昭和四七年三月には第二回目の上顎癌の手術を受けているが(その経緯は後記認定のとおり)、上顎癌の手術においては、多くの場合よほど早期に完璧に行われた場合を除いて何年か経つて転移がくることは十分考えられること、一方、原発性肺癌で、このように左右の肺に同じような腫瘍が二つもできるということは極めて稀であり、それが転移性肺癌であれば極めて普通のタイプであることなどの諸点を総合的に判断して、達博の肺部疾患が上顎癌の肺転移であると診断したことが認められる。

(二)  被告らは、右西村医師の診断には医学上の合理性が乏しい旨主張する。この点に関し、証人於保健吉は、胸部X線写真に異常陰影があつたとしても、それが悪性腫瘍であるのか、結核腫であるのか、あるいはこれと全く別異のものであるかはX線写真のみでははつきりしないことと、これを確定するためには病巣部分の組織を採取し組織検査をする必要があること、右検査により、悪性腫瘍であるかどうか判明するとともに、悪性腫瘍であるときでもそれが原発巣の組織像と異なるときは転移性のものではないことも判明すること、X線写真で骨が溶けているように見えても、断層写真で確認しなければそのようには確定はできないこと、上顎癌は局所進展性は強いが転移の可能性は少ないこと(しかし、可能性を否定はしていない。)、既往に悪性腫瘍の治療を受けていたとか、多発性に腫瘍ができているときは転移性肺癌である疑いはあるが、原発性肺癌でもありうること、原発性肺癌が同じ肺内転移することは、転移性肺腫瘍の中でおそらく二、三番目に多い旨証言しており、また〈証拠〉によれば、昭和四八年七月九日達博を診察した国立がんセンターの仁井谷久暢医師も胸部X線写真により上顎癌術後肺転移の疑い又は右原発肺癌、肺内転移の疑いと診断し、更に確診のための検査が必要と考えていたことが認められる。

(三)  しかしながら、一方で、〈証拠〉によれば、他臓器に原発腫瘍があつたり、あるいは原発腫瘍手術後に胸部X線写真上に類円形陰影を発見した場合には第一に肺転移を疑うべきであること、ことに病影が多発してきた場合には先ず肺転移に間違いないと医学上考えられていること、一般的に胸部X線像から転移性肺腫瘍と原発性肺癌を鑑別することはおおむね可能であること、現代外科学大系(中山書店刊)では原発腫瘍手術後の肺転移出現事例七二例のうち上顎癌からの転移が三例あつたことが報告されていること、〈証拠〉によれば、昭和四八年六月二九日、達博を診察した名大病院第一外科の服部龍夫医師は、特に組織検査をすることもなく「肺は右肺及び左肺尖部に転移性の陰影が認められる」と診断し、被告金田の胸部X線写真を見ての所見も、両側の肺尖部に転移病巣があるというものであつたことが認められるうえ、証人日比野壽惠の証言によれば、同人は、前記仁井谷医師より病巣は三か所に転移しているから手術は意味がないといわれたことが認められる。

(四)  右(三)の認定事実に照らすと、前記証人於保の見解は、医学上の確実性を求める上で尊重されるべきではあるが、必ずしも右見解に沿つた検査を経ていない診断結果をすべて医学上の合理性を欠くものとして無視することは相当でなく、却つて、前記(一)で認定のような西村医師の診断は、その根拠となる事実を併せ考えると医学上の合理性を首肯できるのであつて、達博の胸部疾患が上顎癌の肺転移によるものであつたという事実には医学上も高度の蓋然性があるというべく、この事実を認めることができる。

2  愛知県がんセンターにおける治療について

(一)  〈証拠〉によれば次の事実を認めることができる。

(1) 達博は、昭和四八年七月一二日、愛知県がんセンター病院で受診し、同月一七日西村医師の診察を受けたが、その際、同医師は、達博の全身状態が外科手術には到底耐え得る状態でないこと、左右両肺に腫瘍があり、左肺の腫瘍は広範囲に進入していることから手術の適応はなく、達博を入院させた上で、放射線療法と化学療法の一つであるMETT療法を併用するのが最善であると診断した。ただ、右がんセンターの病床状況から達博が入院申込みをしても、一か月近く待機しなければならない状況であつたため、その間は、外来でもできる放射線治療のみを先行して行うこととした。

(2) 同年八月二〇日、達博は、右がんセンターに入院したが、全身状態が悪かつたため、その回復を待つこととし、結局同月三一日から化学療法を開始したが、放射線療法を並行してやらないこととなつたため、METT療法より副作用の少ないと考えられるMETVFC療法に変更し、以後同年一〇月二日までに、五回にわたり制癌剤の投与が行われた。

(3) しかし、右投与に拘らず、著効は得られず、結局、癌の広範囲の浸潤進展と、上顎癌の手術等のために摂食がうまくいかないため長期にわたり十分な食事ができず、次第に体がやせ細り、同月二四日遂に達博は衰弱死するに至つた。

以上の事実が認められる。

(二)  右認定の達博死亡の経緯及びMETVFC療法に関する被告らの主張は次のようにいずれも首肯できない。

(1) 被告らは、達博が衰弱死したのは、その体がだんだんやせて、酸性になつてゆき、「代謝性アシドーシス」になつてしまつたためであり、その直接的原因は、制癌剤等の多量投与による副作用に主たる原因がある旨主張するが、〈証拠〉によれば、達博に対し、METVFC療法を実施したことにより、その副作用が一部現われたことが窺われるものの、代謝性アシドーシスになつたのは長い間十分な食事ができずに体が次第にやせていき、体の脂肪などを使つてエネルギーを作ろうとしたためであることが認められ、制癌剤による副作用が主たる原因とは認められないからこの点の主張は理由がない。

(2) また、被告らは、達博の肺癌が転移性のものであるなら、それは扁平上皮癌であるから、それに対してはMETT療法を実施すべきであるのに、METVFC療法を実施したのは誤りである旨主張する。被告金田本人尋問の結果によれば、達博の上顎癌は病理組織のうえでは扁平上皮癌とされるものであつたことが認められ、〈証拠〉によれば、扁平上皮癌に対しては、経験的にMETT療法が最もよい成績をあげ、METVFC療法は、これより奏効率は劣つていること、しかし、その奏効率は症例数は少ないとはいえ、三三パーセントあることが認められる。これに加え、前記のとおり、達博に対しては、METT療法は検討の上、不適切であると判断した上でのMETVFC療法の選択であることを考えればその選択が医学上直ちに不合理であるとすることはできず、この点についての被告らの主張も失当である。

3  以上認定事実を総合して判断すれば、達博は、上顎癌が肺に転移し、そのために全身衰弱に至つて死亡したと認めることができ、癌の肺転移とその死亡との困果関係を肯定することができる。

三昭和四八年三月二日までの診療経過について

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  昭和四三年一〇月三日達博は、右上顎部の異常により、名大病院口腔外科で初めて受診したが諸検査の結果、右上顎癌と診断され、同月一五日、口腔外科に入院し、放射線療法を受ける一方、同月二八日岡達教授及び被告金田の執刀で、右上顎部の手術を受け、経過良好により、同年一一月一七日退院した。なお、病理組織検査により、同月九日癌浸潤であつた旨の確定診断がなされた。

2  達博は、右退院後、名大病院口腔外科に通院していたが、昭和四六年一一月二二日の診察で達博が同月上旬より左頬部の腫脹に気付いたなどの異常を訴えたので、被告金田は、診察の上病理組織検査などを実施したところ、左頬部に扁平上皮癌のあることが判明した。そのため、達博に対し化学療法(抗癌剤ブレオマイシンなどの投与)と放射線療法が実施され、同年一二月二〇日入院したが、抗癌剤の動脈内注射法につき患者側が同意しなかつたため退院を指示され、昭和四七年一月二三日一旦退院し、外来で治療を受けることとなつた。同年三月一三日、手術のため再び入院し、同月一五日被告金田の執刀で左上顎部の手術を受け、経過良好により、同年四月一日退院した。

3  達博は、右四月一日に退院したのち、再び名大病院口腔外科に通院し、経過を見ながら治療を続けることとなり、この通院治療は同月から昭和四八年三月二日まで続いたが、その間の診察の殆んどは被告金田が行つた。診察回数は、昭和四七年一一月までは月二、三回多い月で五、六日に及んでいたが、それ以後は、同年一二月四日、昭和四八年二月一五日、同年三月二日と間隔が開き、右三月二日には、以後三か月に一度来院するように指示がなされた。達博の経過はおおむね良好であり、上顎部の癌再発の徴候はなく、体調も上顎癌手術による経口摂取困難から一時体重が減少したが、その後食欲も次第に増進して回復し、また上顎の顎骨の補綴もなされた。

4  その外、達博に対しては、被告金田において、昭和四七年五月二日、同年六月一九日、昭和四八年三月二日に、全身状態の把握のため、末梢血液検査、血液生化学検査などがなされている(この検査結果中には癌の発症、進展により、異常値を示すものもあるが達博の場合はたまたま異常値は示していない。)が、その際、普通は並行してなされる頭部ないし胸部X線撮影が達博に対しては指示されず、結局左上顎癌手術後の通院期間中は一度も胸部X線撮影がなされなかつた。

この点に関し、被告らは昭和四七年五月二日、同年六月一九日、昭和四八年三月二日の診察に際し、被告金田は末梢血液、血液生化学の各検査に併せ胸部X線検査を予定したが患者の申出によりいずれも中止した旨主張し、被告金田は、その本人尋問において、それに沿う供述、即ち、はつきりした記憶はないが、右三ケ日に血液各検査とともに、普通は行う胸部X線検査を実施しなかつたのは患者の協力を得られなかつたためと考えられること、同被告において、患者から確かに何回かは具合がいいからいいだろうとか今日は時間がないからということをいわれた記憶があること、昭和四八年三月二日のカルテに被告金田は「次回胸部X線撮影のこと」との記載をしたが、これは、当日X線撮影を予定したが患者の方で次回にしてもらいたいとのことでその協力が得られず、次回は必ず撮るとの意味で記載した旨それぞれ供述する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、達博の右上顎癌手術後、壽惠は名大病院の日比医師に話を聞いた際、同医師より肺等への転移に注意するようにいわれたこともあつて、癌の再発とともに転移を心配していたこと、左上顎癌手術後、壽惠が被告金田と会つた際、同被告は摘出したリンパ腺を見せながらこれは癌細胞が肺とか肝臓とかへ転移するのを防ぐため摘出したと述べたので同女は転移すると恐しいから今後そういう点を考慮して下さい、達博は以前肺を悪くしたことがあり胸部を撮つても不審に思わない旨述べたこと、達博は同人の家族と何事につけ相談をしていたうえ、同人は言葉が甚だ不明瞭であるため診察には同人の家族が必ず付添つていたこと、達博は診察日は勤務を休んでいたため、当日特に忙しいことはなく、昭和四八年三月二日も格別急ぐ用事はなかつたことがそれぞれ認められることからすれば、達博の家族は肺などへの癌の転移を恐れていたのであるから、もし、被告金田が胸部X線撮影を指示すれば、右家族は当然それを達博に勧めたであろうし、達博において特にそれについて不審に思うこともなく、従つて、それに逆らうこともなかつたであろうこと、X線撮影にはそれほど時間を要しないであろうし、達博も急いで帰る必要はなかつたことが推認でき、これらの点に照らして、被告金田の前記供述はそのまま信用できないし、昭和四八年三月二日のカルテの「次回胸部X線撮影のこと」との記載もそれだけからは当日被告金田が達博にX線撮影を指示したことを推認させるものではない。

四肺転移検査義務について

1  癌の特性について

〈証拠〉によれば、悪性腫瘍の生物学的な最も大きな特徴として、周囲と関係なく営まれる活発な自律的増殖力と、更にその周辺の正常組織内にも侵入して増殖し、原発巣から離れた場所に飛び火をして、そこでもまた増殖するという転移形成能を有すること、かくして癌細胞の増殖は健康な周囲組織をも冒し、癌組織からの毒性物質や癌細胞による宿主の栄養奪取によつて、個体を悪液質に陥れ、死に至らしめることを指摘できる(癌がその特性としてそれが他の部分との協調を失つて、ある部分だけが自律的無制限過剰に増殖した細胞の集団であること、健康細胞を冒して増殖を続けること、癌細胞が無制限に増殖し、周囲の組織を破壊しながら浸潤性に発育すること、癌細胞が遊離して遠隔臓器に転移することは当事者双方の主張するところである)。

2  肺転移について

(一)  癌の転移の形態として、リンパ行性転移、血行性転移、播種性転移の三つがあることは〈証拠〉から認められるところ、〈証拠〉によれば、身体全体の血液は右心室から肺へ全部一度送られるが、肺は毛細血管が非常に多く、血液以外の異物に対するフィルターの役目を果しており、従つて、身体全体の癌は門脈系発生のものを除き、肺を第一番目のフィルターとして、肺に集中的に転移すること(なお、門脈系発生の癌は肝臓を第一のフィルターとし、肺を第二のそれとする。)、即ち、肺はあらゆる悪性腫瘍の血行転移におけるターゲットオーガン(標的臓器)であり、臨床上悪性腫瘍患者を扱う場合には常に肺転移の可能性を念頭に置かなければならないことが認められる。

(二)  そして、〈証拠〉によれば、上顎癌は口腔癌の一つであると認められるところ、上顎癌の肺転移についても、〈証拠〉によれば、口腔悪性腫瘍の血行性転移で最も多いのは肺であり、リンパ性転移は原則として所属リンパ節、即ち、顎下並びに顎部リンパ節であり、それから胸管を経て血行にはいることが認められ、〈証拠〉によれば、肺転移の経路としては、腎臓、頭部、顎部の癌の場合は、直接主要静脈に侵入して肺に至ること、国立がんセンターで扱われた肺転移三二二例のうち、頭顎部癌は一九例(5.9パーセント)あること、また七二例の肺転移症例における原発腫瘍手術から肺転移出現までの期間を示す統計には、前記のとおり上顎癌三例が含まれており、その三例はいずれも手術後一年前後以内に肺転移が出現していることが認められる。更に、〈証拠〉によれば、愛知県がんセンター病院内科において一九六五年から七一年までの約五年間に扱われた転移性肺腫瘍一六〇例のうち、癌の原発臓器が口腔・食道部位であるものが六例あり、そのうち、原発病巣の切除後、肺転移出現を見た四例は、いずれも切除後二年以内に肺転移が出現していることが認められる。

(三)  これらの点に照らせば、肺は悪性腫瘍の血行性転移の最も起こりやすい臓器であり、臨床上悪性腫瘍患者を扱う場合には、常に肺転移の可能性を念頭に置くべきであり上顎癌の肺転移についてもその例外ではないと考えられる。

3  肺転移の早期発見と胸部X線撮影

(一)  〈証拠〉によれば、癌が肺に転移した場合、原発巣から見れば癌細胞が大循環系に入つて遠隔臓器へ転移したこと、即ち、多数の癌細胞が体中に散布されたことを物語るものであること、従つて、悪性腫瘍の病期としては第四期であつて、最も進展度の高い状態といえること、転移性肺腫瘍の早期発見は、肺の早期癌(原発性肺癌の早期)を見付けることは基本的には異なり、直ちに治癒に結びつくとはいえないこと、右転移性肺腫瘍に対し、手術が可能であるのは非常に限られた場合であり、また、原発癌の生物学的特徴によつても手術の可能性は大きく左右されること、同証人の経験から転移性肺腫瘍の治療成績は手術ができた場合で、五年生存率が大体四〇数パーセントであるがその多くが絨毛癌であり、それ以外の癌は手術の可能性も非常に低いし、仮に手術をしたとしてもまた再発して死に至るのが現状であること、原発性肺癌で病期四期の五年生存率は0パーセントであること、手術ができなかつた場合発見から死亡までの平均生存日数は6.6から6.7か月位であるが、これも原発巣の癌の組織像によりその期間に大きな開きがあること、上顎癌についても予後は余り良くないことが認められる。

(二)  しかしながら一方で〈証拠〉によれば、上顎癌についても原発臓器が治癒していたり、充分に治療されている状態であつて、それが孤立性であり、しかも体力がかなりあるという場合には手術の可能性がないわけではないことが認められるが、〈証拠〉によれば、手術療法が選択できるかどうかについても早期診断が重要であること、転移性肺腫瘍の治療としては、まず第一に化学療法が考えられるが、転移病巣の小さなもので広がりの程度の少ないもの程良い成績が得られているが、これは発見の時期によるものであること、小さくて数の少ないものは、放射線療法にしてもある程度の効果を見られていること、治療法の進歩は、原発巣手術後の再発転移例においてもわずかではあるが生存期間の延長をもたらしつつあるが、より早い時期に発見して切除、化学療法、ホルモン療法、放射線療法を組み合わせれば更に良好な治療成績を上げる可能性があることが認められる。

(三)  右(一)(二)の事実を総合すれば、転移性肺腫瘍を早期に発見することは、原発性肺癌の早期発見と異なり、直ちに治癒に結びつくとは必ずしもいえないが、各種の治療効果を上げるうえで極めて有益であることが認められるところ、〈証拠〉によれば肺転移の有無は他臓器の場合に比して、容易に胸部X線撮影によつて検索できる利点があり、これが一番手取り早くまた非常に有効で、これに代る方法はないとされていること、即ち、末梢血液検査、血液生化学検査は現在の段階では完全には役に立たず、また転移性肺癌の早期はすべて沈黙性でX線検査による以外に発見は難しいこと、証人西村穣の検討した症例では転移性肺腫瘍のX線陰影発見時、その五三パーセントには未だ自覚症状が認められなかつたことから、喀痰細胞診、経気管支細胞診も原発性肺癌の場合と異なり必らずしも有効な方法ではないことが認められる。

(四)  〈証拠〉によれば、肺癌早期発見のための集団検診は一般的には年二回で十分であるとされているが、これは腫瘤径が二倍になる期間で肺癌の増殖速度を調べると平均一八〇日であるところに根拠があることが認められ、証人西村穣の証言によれば、肺転移の早期発見のためどの程度の間隔で胸部X線写真を撮るべきかについては確立した見解はないが、同証人の私見としては手術後は手術の侵襲によつて体力が非常に落ちる時期があつて、そういう時は、転移も非常に現われ易いため、術後一年くらいの間は三か月に一回くらい必要であるがその後三年間くらいは半年に一回くらい撮れば足りると考えていることが認められる。

4  肺転移検査義務違反の有無について

(一)  証人西村穣は、癌患者は結局癌の転移で死亡に至るから医師としては最終的な転移を食い止める努力を最初から行い、そのため第一に原発巣を早期に発見して徹底的に除去し、その後も病巣の残存に備えて放射線を当てたり化学療法を施すこと、手術後または手術後の治療においても転移が出たならなるべく早く処置するために胸部X線撮影を行う等その早期発見に努めている旨証言するところである。

(二)  右証言に、前記123の認定事実を総合して考えれば癌の治療においては、先ず、原発巣の徹底的な治療が重要であることは当然であるとしても、癌には転移形成能があり、特に肺へは集中的に転移する可能性があること及び肺転移は悪性腫瘍の病期第四期で最も進展度の高い状態であり、その早期発見は原発性肺癌の早期発見とは基本的には異なるとはいえ、転移後の治療方法の選択、ひいては生存期間の延長を含めた意味での治療成績の向上のためにはその必要性、有益性が十分認められ、加えて、肺転移の早期発見のためには胸部X線撮影という簡便かつ有効な方法が存することからすれば、少くとも肺転移に関しては、転移の早期発見に努めることも原発癌治療内容に含まれると解するのが相当であり、上顎癌の肺転移についてもこの点は同様である。従つて、癌の治療に携わる医師としては、その医学上の合理的裁量に基づき、適宜右X線撮影を実施すべきであり、特に原発巣の手術後一年くらいは、転移の可能性が高まるのであるから、より注意して右検査を行うべきである。現に証人岡達、被告金田本人は患者が癌の原発巣手術後通院して経過観察を受ける目的は、その局所の状態を改善し、またはその局所再発の発見に注意すると同時に他臓器に対する転移にも注意することである旨証言ないしは供述しているところである。

(三)  しかるに、被告金田は、前記三で認定のとおり達博が昭和四七年四月から昭和四八年三月までの一年近く名大病院口腔外科に通院した間、その殆んどの診察にあたつたが、その間一度も胸部X線撮影を指示しなかつたのであり、本来、肺転移の早期発見のため、胸部X線撮影をすべき時期、回数については医師の合理的裁量に委ねられる部分があるとしても、それが左上顎癌手術後一年内の通院期間であることを併せ考えれば、被告金田が一年近くにわたり胸部X線撮影を実施しなかつたことは癌の治療に携わる医師に課せられた右注意義務に違反した行為といわねばならない。

(四)  この点に関し、被告らは次のとおり主張するので以下検討する。

(1) 先ず、名大病院口腔外科は達博との間で、口腔部位の病疾の治療を受任したものであるから、本件において医師に対し、不法行為上の責任を問題とする場合には、達博の口腔部位疾患の治療につき注意義務懈怠があつたかどうかを考えるべきであり、達博の口腔部位治療については治癒したから注意義務懈怠はない旨主張する。なるほど、名大病院口腔外科は達博の左右上顎癌の治療に当つてきたのであるから、その局所再発に先ず注意を尽すべきであるとはいえるが、前述のとおりの理由で少くとも肺への転移の有無についても注意を尽すべきであり、それも上顎癌の治療の一環に含まれると解すべきものである。

(2) 次に、被告らは、口腔外科において、胸部X線撮影をなすのは、いずれも口腔部位に発現した病疾治療のための検査として行うのであり、達博に対しては左上顎癌手術後、手術のような治療が口腔部位についてなされる可能性はなかつたから、胸部X線撮影をする必要はなかつたのであり、更に、治療の範囲を超えて口腔部位以外の他の臓器等に癌疾患が発生しているか否かを検査する注意義務はない旨主張する。

しかし、本件において問題となつているのは、あくまでも血行性転移の最も多い肺転移のそれも術後一年間くらいの間の早期発見に対する注意義務についてであつて、この点につき、上顎癌治療の一環として胸部X線撮影の義務を肯定するものであり、肝臓など他臓器等に対する転移についてまでこの結論を拡張しているわけではない肺以外の臓器や組織につきどの程度の検査をすべきかはそれらへの転移の頻度、発見手段の容易性などを勘案して、別途判断すべきものであつて、これらを包括して同一に論ずることは適当でなくまたその必要もない。

(3) 被告らは、上顎癌の性質として、局所再発は十分に考慮する必要はあるが、骨肉腫や絨毛癌のように肺転移を常に考えなければならないものではないから、それと同様に注意する義務はない旨主張し、証人於保健吉もこれに沿う証言をしている。即ち、同証人は、上顎癌の生物学的特徴は局所進展性が極めて強い反面、舌癌、頸部癌に比べ頸部リソパ節への転移も非常に少なく肺への転移は更に少ないこと、上顎癌における死亡例で一番多いのは局所再発によるものであること、右のような特徴のため、上顎癌の治療に当つては、転移を疑う症状があればともかく、まず局所を確実に見ておくのが診察の中心であること、胸部X線写真についても、骨肉腫、絨毛癌、甲状線癌のように肺に転移しやすい悪性腫瘍においては、X線写真を撮つて肺への転移を追跡していくことが必要だが、上顎癌は前記のような生物学的特徴を有しているから、これについて胸部X線写真を撮らなかつたことが責められるとは医学的常識上いえない旨証言する。

しかしながら同証人も、上顎癌が肺転移する可能性まで否定するわけではなく、先に認定のように上顎癌の肺転移がそれほど稀有なこととは考えられず、〈証拠〉によれば、達博の二回目の上顎癌手術前においてはいずれも胸部X線撮影を実施しているのであつて、その目的の一つは上顎癌の肺転移の有無を調べることであつたこと、口腔外科においても、肺や肝臓に転移することは当然考慮しており、通院の目的は局所の再発と他臓器に対する転移に注意することであることが認められ、これらの点からすれば、仮に、上顎癌の肺転移が少ないとしても、医学上これを無視してもよいとは到底いえないのであり、それは、単に肺転移に対してどの程度の考慮、検査をなすべきであるかについて考慮されるべきことであるにすぎない。そして、肺転移の可能性が骨肉腫などに比べ低いため、それらと同様程度に、肺転移について追跡検査する必要はないとしても、少なくとも、肺に転移しやすい術後一年間については適宜胸部X線撮影を実施すべき義務があつたことは前述のとおりであるから右主張は採用できない。

(4) 被告らは、それが医師の法律上の注意義務に含まれるかどうかはともかくとして、癌の一般的特性である転移の有無にも医学的考慮をしており、本件通院期間中についても、問診などとともに血液諸検査の所見にも注意し、患者の全身状況を把握し、また胸部X線検査を行うように勧めたこともあるのであり、癌の再発や転移の有無も注意していた旨主張するが、前記3(三)によれば、右血液諸検査は、肺転移発見にそれほど有効ではなく、また、転移性肺癌の早期はすべて沈黙性で自覚症状がないものが過半数を占めているから右程度では肺転移の早期発見のため、注意義務を果しているとはにわかにいえず、更に進んで胸部X線撮影を実施すべきであつたと考えられる。また、胸部X線撮影を指示したのに対し、患者がこれに応じなかつた場合はともかく、本件では前記三で認定のとおり、その指示もされていなかつたのであるから、この点の被告らの主張も失当である。

5  達博の肺転移発見可能時期について

(一)  ダブリングタイム算出法について

(1) 〈証拠〉によれば、腫瘍細胞は、細胞分裂によつて増殖するから分裂した細胞が同一に分裂を繰り返せば、それはネズミ算式に増殖していくこと、そこで、腫瘍が全く数学的に一定の速度で成長していくと仮定した場合、時間の変化に対する腫瘍の体積の変化は指数関数として表わされるが、これを経過日数を横軸、細胞の体積を縦軸とする片対数グラフで表わせば右関係は直線で示されること、同様に片対数グラフの縦軸に腫瘍の直径をとり、横軸に経過日数をとつた場合も、腫瘍の大きさの変化は直線として表わされること、従つて、二つの時点の腫瘍の大きさがわかつていれば、その各点を片対数グラフにとり、直線を引けば、任意の時点における腫瘍の直径を推定することができること、また直径が二倍になつた場合、体積は八倍になつているから、直径が二倍になつた期間の三分の一を求めることで腫瘍のダブリングタイム(腫瘍の体積が二倍になるのに要する日数)を推定することができることが認められる。

(2) この点に関し、被告らは、ダブリングタイムの概念においては、個々の癌症例が同一の速度で増殖するという仮定が前提となつているが、実際の具体的症例においては同一の速度で増殖しないし、また、右概念を用いる場合でも、多くの資料を用いなければ正確性が担保できない旨主張し、〈証拠〉によれば、ダブリングタイムは臨床上は治療効果を判定する時だけに使われ、腫瘍の増殖速度又は腫瘍の発生時期の推定に使うと、臨床結果と矛盾する結果が生じてくること、その理由として、右算出法は成長速度が一定であると仮定しているが生体内の癌の成長は必らずしもそうではないこと、即ち、先ず腫瘍が発育していくために必要な間質の量を無視していること、臨床上癌の増殖速度は、初期は増殖率がそれ程大きくなく、ある時期非常に大きくなつて末期にはその率がまた落ちてくるというS字状のカーブを示すのが一番多いこと、そのため、基点となる二点をどの時期にとるかによつて値が異なつてくること、癌の進行度については影響するファクターが非常に多く、例えば、患者の身体の調子、免疫能、悪性腫瘍の組織系の別、年令、抗癌剤などの投与の有無などにより異なつてくること、また、腫瘍細胞が分裂を繰り返すうちには、死滅する細胞や、一部の細胞が分裂しないで休んでいる場合も有り得ることなどが挙げられること、従つて、なるべく真実に近い値を出そうとすると少なくとも時期を変えて、五枚くらいの写真を撮り、そのうえでダブリングタイムを出す必要のあることが認められ、これらの点からして右(1)の算出法は、生体内の癌の成長を必ずしも正確には反映していないと考えられる。しかし、この点〈証拠〉によれば、癌の増大速度は患者のそれぞれの腫瘍や、腫瘍の種類によつて異なり、このため誤差が出るとはいえ、それほど大きなものではないこと、特に基点とした二つの時期に近接した日時の腫瘍の大きさを推定する場合には、誤差はより小さくなることが認められ、結局右(1)の算出法は、基点とした二つの時期に近い日時のおおよその腫瘍の大きさを推定するためならば有用であつて、これを利用するのも一つの推定方法として必ずしも不合理ではないと解せられる。

(二)  肺転移発見可能時期について

(1) 〈証拠〉によれば、達博に対してなされた胸部X線撮影によつて得られたX線フィルム上で読影できる右肺部分の腫瘍の直径の大きさは①昭和四八年五月二八日には三八ミリメートル、②同年七月一二日には五一ミリメートル、③同年八月二一日には六〇ミリメートルであること、そこで①②の値を片対数グラフにとつて二点を結ぶ直線を引き、グラフ上から読みとると昭和四七年一〇月中旬における腫瘍の直径の大きさは0.7センチメートル、同年一二月初旬のころのそれは1.0センチメートルであること、また別紙算出式でダブリングタイムを求めると、(イ)①②によれば三五日、(ロ)①③によれば四三日、(ハ)②③によれば五七日となること、右三つのダブリングタイムにより昭和四七年一〇月中旬における腫瘍の直径を右算出式で算出すると、(イ)によれば1.001センチメートル、(ロ)によれば1.284センチメートル、(ハ)によれば1.312センチメートルであること。ところで、X線フィルムにより肉眼で発見できる腫瘍の大きさの限界は直径七ミリメートル以上であること、これらの事実が認められる。

(2) 右ダブリングタイムによる算出法によれば、遅くとも昭和四七年一〇月ないし一二月の間に胸部レソトゲン撮影を実施していれば達博の肺転移を発見できたと推認できる(なお、右期間は、昭和四八年五月二八日から半年ないし八か月程度遡るに過ぎないから、右算出法によつてもおおよその時期を考える上では大きな誤差は生じないと考えられる。)ところであるし、さらにダブリングタイムによる推定を用いなくとも、前記①②③における腫瘍の大きさから推測すれば、達博が受診した昭和四八年三月二日の時点で胸部X線撮影を実施していれば肉眼で腫瘍を発見できたであろうことが充分推認できる。

6  延命の可能性について

右5の認定事実によれば被告金田において適切に胸部X線撮影を実施していれば、昭和四八年五月二八日から少なくとも半年以上前に上顎癌の肺転移を発見し得たと考えられるところ、証人西村穣の証言によれば、仮に達博の肺転移が早期に発見し得たとしても、達博の肺転移巣の状況、全身状態に照らし、手術の適応があつたとはいえないことが認められるとはいえ、前記肺転移の早期発見についての有益性に照らせば、肺転移の早期発見により、腫瘍が増大する前で、患者の全身状態も良好な時期に治療に着手すれば、それだけ治療効果も挙げ得ると考えられ、それにより達博の生命をいくらかでも延命することができたであろうと推認できる。

即ち、達博は、被告金田の胸部X線検査義務の懈怠により肺転移に対する有効な治療を早い時期から受けることができず、このため死期を早めたものと認められるのであつて、この認定に反する被告らの主張は、前記3(二)の認定事実に照らしにわかに採用することはできない。

五肺転移発見後の診療経過について

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  達博は、昭和四八年五月二六日前後に、左の鎖骨の辺りに激痛を覚え、同年二八日、自宅近くの高鍬医院で受診した。当日、胸部X線撮影を実施し、翌日、達博の家族は高鍬医師より、左右両肺に癌が認められるといわれた。更に、同医師は、X線写真の腫瘍の状況から手術はないだろうと述べ、大病院で診察を受けることを勧めた。ところが達博は、左胸部痛を訴え、動きたくないというので、西山団地病院の医師に同年六月一日から同月一九日にわたり、しばしば往診を求めて診療を受け、その間の同月一四日、胸部X線写真を撮つたが、その際、同病院の医師は、肺の両方に転移していると述べ、今まで名大病院口腔外科で診察を受けているのなら同病院へ行くのが早道だからと勧めた。達博の家族は、同人の病気が口腔外科の疾患でなく内科のそれであると考えていたので、念のため、同月一九日、愛知県の総合保健センターの医師に相談したところ、同医師からも同様に勧められたので、達博の家族もそれに従うこととした。

2  右一九日夕方、達博の家族が被告金田を名大病院口腔外科に訪ね(この事実は当事者間に争いがない。)、近所の内科の医師に診てもらったら両肺に転移が認められるといわれたから、ともかく入院させて欲しいと懇請した。被告金田は、そのとき家族が持参してきたX線写真を見たが、両肺に転移病巣があるというような所見だつた。

しかし、被告金田は、肺癌が専門外であること、翌日学会出席のため口腔外科の入院を制限していたことから、入院希望を断わつたが、家族の了承が得られず、また肺癌の専門医に紹介するなどの適当な措置も咄嗟にとれず、とりあえず翌二〇日に他科へ転科するまでの間暫定的に入院してもらうこととし、病棟医の柴田医師に対しその旨指示し、同月二〇日、学会に出席のため出張した(被告金田が、同日学会出席のため留守にしたことは当事者間に争いがない。)が、その際、柴田医師に肺癌の専門医を紹介しておくようにとまでは指示しなかつた。

被告金田は、その本人尋問において、柴田医師に達博の入院手続を指示するとともに、同医師に肺癌の専門医も紹介しておくように指示した旨供述するが、一方で、同被告は、学会へ出発する段階で、学会から帰るまでに達博に対しては一般的検査をやつて全身状態がどういう状態か把握するまでの段階は終わつているであろうと理解していたと供述しており、後記4の六月二七日までの診療経過に照らしても、右専門医の紹介を指示した旨の供述は信用できない。

3  口腔外科は、肺癌治療については専門外である(この点は当事者間に争いがない。)ため積極的な治療行為はできず、右入院の目的は、口腔外科において肺癌治療の専門医のもとへの転科させるまでの間、患者の全身状態を把握するための諸検査を実施し、それとともに、患者の全身状態の改善を図るというものであつた。

4  達博は、同月二〇日、名大病院口腔外科に入院し(この点は当事者間に争いがない。)、被告金田は、同月二六日に名古屋に戻り、翌二七日から病院に出た。その間、同病院では達博に対し先ず全身状態を把握するため、胸部X線写真、血液各検査などの諸検査を実施するとともに、疼痛に対しては鎮痛剤を投与し、口腔部位の洗浄をするなどして、全身状態の継持改善を図つた。

5  同月二九日、被告金田は、名大病院第一外科の服部医師に診察を依頼し、同医師は、その診察の結果を同被告に回答したが、その内容は、「肺は右肺、左肺尖部に転移性の陰影が認められる。現在考えられることは手術あるいは放射線の適応はなく化学療法のみと思う。ブレオマイシンは以前使っていて効果に疑問があるが、他に選択的に効くものがないのでもう一度試みられては如何ですか」というものだつた(達博が名大病院第一外科で受診したことは当事者間に争いがない。)。

右診断結果を知つて、被告金田は、第一外科では患者の引き受けには難色を示しており、口腔外科においてプレオマイシンでもう一度治療したらどうかという意味であると判断した(なお、口腔外科においては、同年七月三日にプレオマイシンを投与しようとして結局取り止めている)。そこで、被告金田は、達博の家族に対して「今回は手術なしで薬で治療しましよう」と話はしたものの、同人に対しては、今までにかなり多量にプレオマイシンを投与しており、更に同剤を投与するとその副作用としての肺線維症を併発するおそれが十分あつたので、そう長くは投与できないし、今までも同剤で著効を得られていないので判断に困つた。そこで、被告金田は、岡教授と相談した結果、化学療法に対する見込みが右のような状態だつたので、手術療法が可能かどうかについて確実を期するため、胸部外科(肺癌など)を多く手掛けている第二外科の国島医師の回診を求めることとした。

同年七月三日達博を診察した国島医師の意見は、肺の病巣は一か所であり、手術も可能であるから第二外科へ転科するようにとのことであり、そこで同月五日第二外科に転科、同月一六日手術という予定が立てられ、被告金田も達博及びその家族に手術が可能であることを伝えることとした。

6  達博及びその家族は、第一外科では手術の適応がなく化学療法のみであるといい、第二外科では手術が可能という異なる方針を出したことに困惑し、名大病院五階のエレベーター前で相談していたところ、たまたま被告金田がその場に通りかかり、今までは手遅れという気持であつたが、第二外科の見解が右のようであつたので患者を励ます意味で、「病気は一か所で右の上葉を切除すればよいから手術を勧めます。」と述べ、達博の家族が「西山団地病院の先生が手術は病人の体力の消耗に終わり苦痛が増すだけだからよく注意するようにと言つていた。」と話しても、「大丈夫ですよ。これ一か所取れば二週間くらいで歩いて帰れるようになります。」と楽観的な見通しを述べた。達博の家族は病巣は二か所あるのに一か所と述べているのを不審に思い、「内科に回して下さい。内科の診察を一度希望します。」と言つたところ、被告金田は、「内科へは回しませんよ。ここには胸部の癌の権威はいませんから。診て欲しければよそへ行きなさい。」と述べ、更に右家族が「どこへいつたらいいのか」と尋ねると、被告金田は「愛知県のがんセンターへ行きなさい。春日井先生を紹介してあげます。」と述べて行つてしまつた。そのため、達博は、今まで知らされていなかつた自己の疾患が肺癌であると知るに至つた。その後被告金田より同月一六日を第二外科の手術予定日とする旨の連絡があつたが、達博の家族は同被告にもう一度手術以外の方法がないか聞きただしたのに対し、同被告は「退院ですね」と一言いうのみであつた。

右の事実に関して、被告金田は、その本人尋問において、五階のエレベーター前での達博及びその家族との話し合いにおいて「内科に回して下さい」といわれた記憶はない旨供述する。しかし、一方では同被告は、質問の内容は忘れたが、それに対して「本学には内科で肺癌を専門にやつている先生はいない」と返事をし、「肺癌の専門の医師はいないか。」という質問に対し、「愛知県がんセンターがあつて、そこに肺癌の専門の先生がいる。」と述べ、春日井医師の名をあげた旨供述している。そして、右話し合いが、当初第二外科に転科して手術ができる旨の話から出てきたものであり、その際、達博の家族は、前記1の認定事実に照らし、手術はないとの予想のもとに内科への転科を期待して口腔外科へ入院したのに、第二外科において手術が可能であるとの診断を受け、当時困惑していたと考えられ、そこで内科の診断を被告金田に求めたとしても不自然でなく、逆に、内科への転科を求める話がないのに、内科に肺癌を専門にやっている先生はいないとか、愛知県がんセンターへの転院の話が出るのは不自然である。

7  右のような状態で、達博の家族は、考えがまとまらず、達博がここは騒がしいから一度うちへ帰つてゆつくり相談したいというので、同月四日二泊の外泊願を出した。ところが病院側からは今手術中だから待つようにといわれ、日比野壽惠は先に帰つていたが、同女があとから達博とともに帰つて来た家族の話を聞くと、結局夕方に、柴田医師より、「口腔外科の入院を待つている患者がたくさんいるからもう口腔外科の患者じやない人は荷物をまとめてすぐ退院してください。」といわれて退院してきたとのことであつた。そして、翌日家族のものが残つた荷物を取りに名大病院に行き、退院手続を取つた。

達博の家族は、これからのことを話し合つた末、東京の国立がんセンターの診察を受けることにし、同月八日、達博と原告及び伊藤津祢が先に上京した。同月九日残つていた日比野壽惠に、被告金田より電話があり、手術をどうするか尋ねられたので、今東京へ行つているから帰つてくるまで返事は待つてくれるように頼んだが、手術待ちの患者がたくさんいるから早く返事が欲しい旨被告金田が述べるので、同女は、同月一六日の予定日は他の患者に回してもらつて、東京から帰つてきて手術を受けるつもりであれば新たな日を予定してくれるように頼み、被告金田もこれを了承した。

この点に関し、被告らは、昭和四八年七月四日患者は外泊したが、翌五日になつても患者が帰院しないので退院の手続をとつたこと、同日被告金田が患者宅へ電話したところ、患者は東京に行つていないから同月一六日の手術予定は中止して欲しい旨日比野壽惠から申出を受けた旨主張し、原告主張の強制退院措置を否認する。そして、被告金田もその本人尋問においてこれに沿う供述をしている。しかし、その本人尋問の結果により被告金田が記載したと考えられる前記乙第一号証の四の同月五日のカルテには「本人帰院せず、前夜家族会議の結果手術中止とのことにて退院」との記載があり、退院に至る経過が被告金田の供述と異なつているうえ、〈証拠〉によれば、達博は同月七日まで西山団地病院の医師の往診を受けており、同月八日上京し、被告金田より電話があつたのは翌九日であることが認められるから、同月五日に電話をしたとの被告金田の供述は信用できず、それは同月九日であると認められ、その際、日比野壽惠より被告金田に対し、同月一六日の手術予定は中止して欲しい旨初めて表明されたのであり、それ以前に手術を中止して欲しい旨を述べたと認めるに足りる事情はない。また、被告金田は、その本人尋問において、達博の方から同月四日外泊を希望し、外泊を許可したが、患者の家族の方はそれは外泊ではなく退院というふうに理解したようで従つて翌五日朝には患者は帰つて来ず家族が荷物だけを取りに来たようだと供述し、その一部では右認定した事実に沿う供述もしている。更に、前記認定のとおり、達博が左上顎癌で昭和四六年一二月二〇日名大病院に入院した際、治療方法の選択について患者が同意をしなかつたため、昭和四七年一月二三日、退院を指示され、退院したこともあり、この事実も加味すれば昭和四八年七月四日においても、口腔外科から外泊ではなく退院を指示されたとしても必ずしも不自然とはいえないと考えられる。従つて、前記認定事実に反する被告らの主張は採用できない。

ただ、原告は、退院を命じたのは被告金田であると主張するが、前記認定のとおり、退院を指示したのは柴田医師であり、同医師が被告金田の指示、意向に従つて退院を指示したと認めるに足りる証拠はないから、この点の原告の主張は採用できない。

8  達博は、同月九日国立がんセンターの仁井谷医師の診察を受け、翌日その診断結果を聞き、同月一二日には愛知県がんセンターに転院して、以後死亡するまで同所で治療を受けた。以上の事実が認められる。

六転移判明後における口腔外科での措置、なかんづく診療拒否と不必要な手術の決定、達博への癌の告知及び即時強制退院等の有無について

前項の認定事実に従い、原告主張の右の各点につき順次検討する。

1  昭和四八年六月二〇日入院による診療契約の内容

前記五の認定事実によれば、達博の家族が昭和四八年六月一九日被告金田に入院を懇請し、同被告がこれを承諾した際の診療契約の内容は、口腔外科において、肺癌の専門医への転科手続をなすとともに、その間に口腔外科においてなし得る検査を実施し、達博の全身状態を把握するというものであつたと考えられる。

2  そこで第二外科転科決定までの措置について検討する。

(一) 先づ、原告は、昭和四八年六月二〇日から一週間、被告金田が学会に出席するため病院を留守にしていた間、何等適切な措置がとられなかった点を問題にする。確かに、前記五24で認定のとおり、同月二八日までの間、転科に関する手続がなされていないことが認められ、その点で不適切な面はあるが、それはそれ以前から予定されていた被告金田の学会出席のためであり、従来よりの達博の主治医として他の医師にそれを全面的に委ねるわけにはいかなかった被告金田の立場からやむを得ない面も認められる。そして、その期間も約一週間に過ぎず、その間には達博の全身状態を把握するための諸検査及び全身状態の観察維持を目的とした診察も一応なされていたのであり、右の状況に鑑みれば被告金田において、前記診療契約に基づく注意義務に反する違法があつたとはいえない。

(二)  次に、原告は達博の症状においては、外科手術の適応はなく、内科に転科させるべきであつたのに、昭和四八年七月四日まで内科に転移させなかつた点を問題とする。証人於保健吉、同西村穣の証言によれば、達博の肺転移に対しては客観的にみれば手術療法の適応はなかつたことが認められるが、一方で、同証言によれば、手術の適応の有無についての判断のためには、種々の要因を専門的知識に基づき検討しなければならないこと、転移性肺腫瘍に対しても手術の適応がある症例があるが、その場合は、それ以外の症例よりも五年生存率がよいことが認められる。

従って、前記五5で認定のとおり、被告金田がまず手術の適応の有り得ることを前提として、内科でなく第一外科の診断を求めたことは、右のような手術療法の適応があつた場合の手術の有効性、その適応の有無の診断については専門外の被告金田の立場からすれば特に問題はなかつたといえるし、第一外科の診断を知つて、更に第二外科の回診を求めたことも、右の理由に加え、第一外科が勧めたブレオマイシンが達博に対して有効ではなく、又副作用の点で問題があると判断したこと(このように判断すること自体は、口腔外科においてもブレオマイシンを口腔部位の悪性腫瘍の制癌剤として使用しているのであるから、その専門的知識により、その薬効、副作用を十分認識しているのであり、それに基づく判断として是認できる。)により、確実を期するためであり、前記転科義務との関係でこれまた不適切であつたとは認められない。

(三) そして、第二外科の国島医師が肺の病巣は一か所であり、手術も可能であるとの意見を出したので、被告金田は、同月五日、第二外科へ転科する予定を立てたのであるが、前記五12認定のとおり、達博の肺転移巣は、当時少なくとも両肺に存在していたから、右国島医師の診断は誤診といわざるを得ず、被告金田においてもそれを認識し得たと考えられるものの〈証拠〉によれば、外科においても、悪性腫瘍に対する治療に対しては手術療法に加え、放射線療法、化学療法(更に昭和五〇年代には、免疫療法が加わる。)も併せた合併療法を実施するのが主流であることが認められるから第二外科に転科したからといつて治療方法として手術療法のみが選択されるとは限らないのであり、また被告金田本人尋問の結果によれば、手術予定日は、入院日と同時に一応組んであるが、その日に実際に手術するには、更に詳しい検査診察等がなされるのが通常であり、前記誤診はX線写真の見誤りと考えられるから、その際には容易に両肺の転移巣を発見できたと推認でき、第二外科に転科したのち、予定を変更して手術が取り止めになる蓋然性もあつたと考えられる。結局、第二外科に転科すれば、同科において別途検査、診察がなされ、肺癌に対する専門的治療が開始されるのであるから、右誤診があつたことのみによつて、被告金田がなした肺腫瘍の専門である第二外科への転科手術が同被告に課せられた転科義務に反したものとはいえないのであり、両肺に転移巣があることを認識しながら国島医師にその点を確認しなかつた点で対応が完全でなかつたとはいえるが、被告金田において、専門医の診断を差し置いて、手術の適応がない旨判断し、転科を中止する義務まではないといわざるをえない。

(四)  以上のとおり、被告金田が第二外科に転科手続をとるまでの措置には患者に対する説明や対応に充分でない点はあるにしても、前記1の診療契約に基づく注意義務違反があつたとまでは認められない。

3  次に、他科での診療拒否と不必要な決定の点について検討する。

先づ、原告は、第一外科の診断結果を得た時点で内科への転科、転院手続を取るべきであつた旨主張するが、被告金田が第二外科に再度診察を求めた点に何等注意義務違反がないことは前記2(二)のとおりである。また、原告は、被告金田において、達博の家族が内科への転科を希望したのにこれを拒否して第二外科へ転科の手続をとり、手術を強行しようとしたと主張する。

(一) 被告金田が達博の家族の内科への転科希望を受け入れなかつた状況は前記五6で認定のとおりであるが、本来、転科手続をとるべき義務を負つた医師においては、その医学的見地からの合理的裁量に基づき転科手続をなすべきであつて、必らず患者の希望どおりに転科させるべき義務を負うものではないことは当然であり、患者の希望が不適切と考えれば必らずしもこれに応ずる必要はないと考えられる。そして本件において、被告金田は、前記2のとおりの理由により、その医学的見地から第二外科への転科手続を取つたのであるから、その応待には不適切な面があつたとはいえ、患者の希望どおり内科への転科手続をとらなかつたことが必ずしも転科義務に反するとは認められない。

(二) 第二外科において達博の肺転移巣が一か所であると誤診した結果、手術の適応があるとして、手術予定日まで決定したことは前記五5のとおりである。この点につき原告の主張は、手術による達博への侵襲によつて、同人に身体的損害等が生じたかどうかを問わず、右誤診をなしたこと自体、即ち、不適切な診療行為がなされた場合は、被害発生の如何を問わず慰藉料の請求ができるというものであるが、右のような適切な診療行為を受けるべき期待そのものが、不法行為によつて保護されるべき正当な利益とは解し難く、また手術予定日を決めたことが手術を行ったことと同視できないのは当然であるから、原告のこの点に関する主張も採用できない。

4  達博に対する癌の告知について

(一) 原告は、被告金田が達博に対し、癌であることを知らせたこと自体が不法行為を構成すると主張する。〈証拠〉によれば、医学上、癌患者に対し、その病名を知らせることの適否については医学専門家の間でも見解が分かれており、場合によつては告知する方が治療面の効果もあるとする積極論や患者への心理的悪影響を配慮してこれを隠した方がよいとする見解のあることが認められる。そして、当裁判所としても、患者への病名の告知がその病名の如何によつては患者に対し精神的にも、ときとしては肉体的にも好ましくない結果をもたらし、それが治療効果を減殺することになる場合もあるであろうことは充分推測できるところであり、特にそれが癌という世上不治の病と観念されているものであるときは深刻な打撃を患者に与えることが多いと考えるのである。しかし、それが真実である以上、いたずらに病名を秘匿するよりも、むしろしかるべき時期に患者にこれを知らせたうえで、患者にその置かれた現状を認識させ、場合によつては治療法を自ら選択する機会を与え、さらには来るべき死に対する心の準備をする時間を与えるべきであるとする見解も充分に理解できるところである。

(二)  このようにみてくると、癌患者に病名を知らせることの是非は単に医学上だけの問題にとどまらず、広く人間諸科学の分野から検討すべき事柄であるが実際の臨床の場においては、各患者ごとに担当医師がその心理的影響を充分に配慮し、これを決すべきものであり、そのいずれをとるかは治療上の裁量に委ねられているというべきである。従つて癌患者がその病名を知らされたことにより心理的悪影響を受けたからといつて、それが医師の医道上の配慮を無視した患者への精神的打撃のみを意図するというような例外的場合を除き、直ちに当該医師に何らかの法律上の義務違反があつたとすることは相当でないところである。その意味で癌患者には病名を知らされることはないという法律上の利益があるというわけではないから、たまたま癌患者に病名が知られることになつてしまつた場合においても、医道上の問題は別として、これを知らせた医師につき不法行為が成立するものとは解されないのである。そこで本件の場合をみると、前記五6で認定のような状況で、被告金田の発言から達博にその病名が癌であることを気付かせることになつたもので、その言動にはいささか配慮に欠ける不用意な点があつたとしても、これまでの認定事実からして、被告金田には達博とその家族に愛知県がんセンターを紹介する以上の意図はなかつたと認められるから、同被告につき不法行為が成立するとはいえないところである。

よつて、この点の原告の主張も失当である。

5  最後に強制退院及びその後の診療拒否の有無について検討する。

(一) 達博が昭和四八年七月四日退院した経緯は前記五7で認定のとおりであり、それが柴田医師の指示によるものであることは認められるが、同医師の行動が、被告金田の指示ないし意向に従つたものとは認められないから、この点で原告の主張は失当である。

(二)  しかしながら、被告国の債務不履行責任の有無に関連して更に柴田医師の行為の当否について検討する。

柴田医師が達博に対し、退院を指示したことは前述のとおりであり、それは同人の二泊の外泊願に対し、十分な説明もしないでなされたもので、その意味で配慮に欠けたものであつたと考えられるのであるが、しかし、達博が昭和四八年六月二〇日口腔外科に入院した目的は前記1のとおりであり、口腔外科において肺癌に対し積極的に治療を行うわけではなく、転科手続をとるまでの間暫定的に入院させていたに過ぎず、同年七月四日には、翌五日に第二外科に転科する手続をとつていた(それが転科義務に反するものでないことは前述のとおりである。)のであるから、二泊の外泊願に対し、元来転科までの暫定的患者に対し、退院を指示したことが直ちに転科義務に反した違法なものということはできない。また、被告金田は、その後も、第二外科での診療を受ける意思があるかどうかについて達博の家族に確認しており、診療を拒否したとは認められない。従つて、この点でも原告の主張は失当である。

6  以上のとおり、請求原因3(二)(三)(四)における原告の主張はいずれも理由がない。

七被告国の責任

1 被告金田が、被告国の運営する名大病院口腔外科に勤務する医師(歯科)で同大学助教授であることは前記のとおり当事者間に争いがないところ、被告金田がその職務に関して前記四で認定のように胸部X線撮影義務の懈怠行為をなしたことはその経緯に照らし明らかであり、これは達博に対する不法行為を構成するから、被告国はその使用者として民法七一五条に基づき、被告金田の右過失行為によつて生じた損害を賠償する責任がある。

2  次に、被告国の債務不履行責任のうち肺転移検査義務不履行の点については、原告の主張するその責任原因事実が、右の使用者責任発生原因事実と実質的に全く同一であり、使用者責任を認める以上、その損害額が右額よりも多額になるとは解せられないから、別個に判断はしない。また、その余の点の債務不履行責任については、前記認定のとおり被告国の履行補助者に注意義務違反はなかつたというべきであるから、被告国の責任は認められない。

八損害

1  達博は、被告金田の胸部X線検査義務の懈怠により、半年以上にわたり、転移性肺癌に対する適切な治療を受ける機会を奪われ、そのため期間の確定はできないものの、その死期を早められたのであり、それにより精神的苦痛を被つたことはいうまでもない。そして、前記被告金田の過失の態様、程度の外、達博の罹患していた病疾、その他諸般の事情に照らせば、同人の精神的苦痛に対する慰藉料は原告請求額の金五〇万円を下まわるものではないと認められる。

2  証人日比野壽惠の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、右損害賠償請求権を相続により取得したことを認めることができる。

九結論

よつて、原告の本訴請求は、被告ら各自に対する不法行為に基づく本件損害賠償請求金のうち金五〇万円及びこれに対する被告らへの訴状送達の日であること記録上明らかな昭和四九年四月二六日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(宮本増 森本翅充 彦坂孝孔)

(別紙)

ダブリソグタイム算出式

ダブリソグタイム=tlog2/3log(Dt/Do)

t=測定期間(日)

Do=最初に測定した結節陰影の径

Dt=最後に測定した結節陰影の径

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